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    欧州複合危機(中公新書、2016年)誤植・訂正

    以下、遠藤乾著『欧州複合危機』(中公新書、2016年)で、刊行後に見つかった誤植、表記ミスです。お時間見つけてご指摘くださった方には、心より感謝いたします。他にもございましたら、ご指摘いただければ幸いです。仮に重版になりましたら改定させていただきますが、当面ウェブ上で記して訂正させていただきます。

    022頁後ろから3行目、23頁1&9行目、27頁後ろから1&3行目(+年表2015-1、2015-8、2015-9):シリッツァ→シリザ
    023頁5行目:ヴァロファキス→ヴァルファキス
    053頁9行目:シリアに送還→トルコに送還
    085頁後ろから4行目:パキンスタン→パキスタン
    111頁9行目、118頁11行目:ファラージュ→ファラージ
    208頁後ろから3行目:その意味「の」おいては→「に」
    212頁3行目:「自由」が2回挙げられているので後者を削除
    247頁後ろから5行目、249頁5行目:ウィルダース→ウィルデルス



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    国際政治講義マテリアル(北大、2016年後期)

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    国際政治講義(北大、2016年後期)について

    北大にて国際政治講義の受講者の方々へ

    授業のパワポ・ファイルは、以下からダウンロードできます。
    掲示し、授業で配布するパスワードを使い、各自アクセスしてください。

    http://endoken.blog.fc2.com/blog-entry-100.html

    朝日新聞論壇委員提出資料(遠藤分、2016.4)

    朝日新聞論壇委員会に4月中旬に提出した資料です。
    初回でもあり、出してもよいようなので出すことにしますが、レビューする身がレビューされ、問われますね。
    まあ、自分を鍛えると思って、月のカレンダーがめくられたのを機に。なお、敬称略。誤字脱字の類は直しております。

    遠藤 乾(北大法学部)
    endo@juris.hokudai.ac.jp
    2016年4月

    ●注目記事

    (自由)
    高山佳奈子「政治家によるメディアへの圧力は犯罪とならないのか」世界5月
    柿﨑明二「国家権力の監視」は特別なものでない 必要なのはルーティンの取材の深化だ」Journalism4月
    国谷裕子「インタビューという仕事──「クローズアップ現代」の23年間」世界5月
    森 達也「闘うべき最初の相手は権力ではなく個よりも組織を優先する無自覚性だ」Journalism4月
    綿井健陽「エド・マーローが遺した「テレビジャーナリズムと権力の攻防」」Journalism4   月
    堀 潤「自ら「萎縮」断ち切る努力を 政権批判だけでは共感呼べない」Journalism4月
    奥山俊宏「「パナマ文書」で世界に衝撃を与えたICIJと朝日新聞はなぜ提携したか」法と経済のジャーナル、4月8日
    畑恵「"緊急事態条項" ~危機が迫る今こそ徹底した議論を」THE HUFFINGTON POST JAPAN 3月31日

    (中国)
    小崎哲哉「危うし、美術館!(6):中国の検閲に加担した広島市現代美術館」Newsweek日本版、4月13日
    阿古智子「封じ込められた不満 中国「世論戦争」のゆくえ」外交3月
    バリー・ブザン「中国のソフトパワーが育たないワケ」「Wedge」(ウェブ版)4月15日

    (安倍政権)
    田中秀征「安倍政権は世界の危険な潮流に乗っている」SIGHT63号
    柳澤協二×植木千可子×小原凡司「戦争は誤算で起こる!?――「抑止力」と今後の東アジア情勢」Synodos、2016.04.12
    マイケル・オースリン「日本の新しいリアリズム――安倍首相の戦略ビジョンを検証する」フォーリン・アフェアーズ・リポートNo.4

    (テロ)
    ニューズウィーク「欧州テロの時代」特集、4月5日
    黒井文太郎「ベルギーのテロで戦々恐々 次の標的は日本か(1)(2)」Best T!mes, 4月10-11日
    Globe「戦場がかわる」特集、4月3日

    (G7)
    武見敬三「開発と安全保障をつなぐ日本のグローバルヘルス戦略」外交3月

    (パナマ文書)
    ニューズウィーク「世界を揺るがすパナマ文書」特集、4月19日
    上村雄彦×澤康臣×三木義一×荻上チキ 「パナマ文書の衝撃!タックス・ヘイブンの実態〜そしてグローバル・タックスの可能性とは」TBSラジオ『荻上チキ・Session-22』2016.04.05
    上村雄彦(編)!『世界の富を再分配する30の方法』(合同出版)4月発売

    (沖縄)
    五十嵐敬喜「辺野古・代執行裁判 「和解」の正体」世界5月

    (歴史認識)
    冷泉彰彦「「ケリー広島献花」を受け止められなかったアメリカ」(プリンストン発 日本/アメリカ 新時代)ニューズウィーク日本版(ウェブ) 04月12日
    箱田哲也「慰安婦問題 日韓合意の舞台裏」外交3月号

    (その他)
    ダイアモンド「神社の迷宮」特集、4月16日
    D・アトキンソン「国際観光客到着数22位「おもてなし」で客は呼べない」中央公論5月

    ●論評

     高市発言をきっかけに、あらためて報道の自由が争点化している。権力のチェックというメディアの使命については当然視されているが、敵は外部でなく内部に(も)あり、忖度や自己規制こそが問題だとする議論もまた、綿井や堀などの寄稿で繰り返されている。国谷・森の議論も、組織や世論に抗して、個が多角的に対象に迫ることの重要性を説いたという意味で、類似の主張として括ることができよう。
     それに対して、今一度、権力対メディアの古典的構図に立ち返り、刑法という既存のリソースに目を向けたのが高山だ。通常、(上に挙げなかったが上村のように)放送法や電波法に引き付け、その趣旨に反する発言や行為を問題視する論考が多いが、この論考は、そこにも言及しつつ、暴行・脅迫罪から、業務妨害罪(233,234条)、公務員職権乱用罪(193条)の適用可能性にまで一段踏み込んで、問題の深刻さを投げかけているように見える。
     元NHKプロデューサーの永田浩三の記事に引き付ければ、ETV番組「問われる戦時性暴力」(01年)を制作したと際、安倍氏は放送総局長を呼び出し、『ただではすまないぞ。勘ぐれ』と言ったそうです。『作り直せ』と言えば具体的な圧力になるから『勘ぐれ』と言った」わけで、高山論文に依拠すれば、この手の介入をより直截的に争点化することができ、異彩を放っているといえよう。
     とはいえ、まだまだ、後述の中国などに比べようのないほど、個々の記者にできること、ひいては日本社会に自由の余地が残っているのも事実である。柿崎は、多忙化する記者・報道機関が、個々の記者の使命として調査報道を位置づけ、ルーティンの取材を深化させることを提案する。自由は、その手の日々身近の手間によって支えられているわけである。
     さらに、新しい調査報道の国際連携の可能性を、パナマ文書(後述)やそれに先立つ遺体(パーツ)売買に関する事例から説き起こしているのが、奥山である。
     権力を監視(するツールを増や)し、自分や所属する組織に内省的な目を向けるのは大切なことではあるが、他方、耕すべき報道の自由のフロンティアはまだまだ肥沃なのかもしれない。
     なお、日本における表現の自由と中国政府との絡みで浮上したのが、広島市現代美術館の展示問題である。恐らく中国政府の意向をうけて自作品の一部に輸出許可が下りない中、芸術家のリュー・ディンは、オリジナルの展示ができないことに抗議の意味を込めて、広島での展示の一部であるテレビ画面を青色で固定した。小崎は、館長をはじめ美術館職員とリュー・ディン側(ゲーテ・インスティトゥートが指名したキュレーター)双方を取材し、広島側に非があると示唆している。
     これは、もうすこし丁寧に検証されるべき事案だと感じているが、大きな構図としては、中国のようなイリベラル(非自由主義的)なパワーが大きくなり、浸透力を増す局面で、日本の立ち位置や佇まいが問われているということができよう。
          * * *
     中国が一党独裁の国であるのは周知のことだが、その社会は経済自由化が進むに従って多様化し、胡錦濤政権末期にはウェイボー(微博)などのSNSを経由して、市民的公共空間・言論社会が急速に成長した。残念ながら習近平政権は、過去3年半、その流れを完全に逆回転させ、一気に市民社会はしぼんでいる。
     阿古は、恐らく日本の中でもその中国の萌芽的な市民社会にもっとも食い込み、信頼を得ている者の一人だが、彼女が見ているのは、ネットという現代中国人にわずかながら残されている抗議の回路が締め付けられ、不満がいつか暴発する可能性である。それを避ける道は、中国共産党とその統治体制の自己改革だが、その見通しは暗いと結論付ける。
     そういう国が、自らソフトパワーを志向し、孔子学院とともに世界にお金をばらまいているのは笑えない冗談のようだが、著名な英国国際政治学者バリー・ブザンによれば、問題は三つある。一つは、中国政府は海外で良いイメージを持たれておらず、二つ目は、中国政府は、経済改革の結果生まれた市民社会を恐れており、三つ目は、中国政府は「市民社会の邪魔をしない」やり方を知らないということだ。真新しい話ではないが、的を得た整理といえよう。
     習近平下の中国は、国内のみならず、近隣の南シナ海・東シナ海でも一方的な軍事・準軍事措置を繰り返しとってきているが、それに対して「100年遅れの帝国主義」のようと田中秀征は厳しい。そして、返す刀で厳しい視線を向けるのが、安倍政権に対してである。70周年談話を振り返り、類似の言及はあっても「国策の誤り」を明言せず、みんなやっていた風の言い逃れを模索しながら、ナショナリズムの波に乗ろうとするその姿勢に、中国に対して言うべき言葉を持たない日本を見て取る。
     この中国を念頭に、日本が安全保障上のアクターとして何をし、何をすべきでないのか、いまも議論は割れている。関係改善とのバランスをとりながら、イリベラルな中国に影響力拡大に対峙するのを積極的に評価するのは、アメリカエンタープライズ研究所のオースリンである。共和党系の提灯記事として片づけるのも簡単であるが、世界的なイリベラリズムの潮流に対して、自らがイリベラルにならずに棹をさす方途は何か、議論は必要だろう。
     その何かを軍事安全保障的な手段で遂行する際、自らが送りたいシグナルは何か、それが相手にどう認識され、あるいは誤認されるか。守るものは何か、自由か領土か国益か。安倍政権の安全保障政策について議論したシノドスの鼎談(柳澤協二×植木千可子×小原凡司)は、改めて考えるきっかけにはなると思われる。
     なお、日本の安全保障の「痛点」ともなっている沖縄については、五十嵐が辺野古代執行裁判の不可解さを読み解く形で、取り上げている。これを読めば、政府や裁判所の一見不可解な行動の意味が見て取れよう。同時に、それらの小細工が効かないところに沖縄の世論があることをも示唆しており、今後を占ううえでも欠かせない論考と思われる。
         * * *
     安全保障は、狭義の軍事にとどまらず、テロ、感染症、マネロンその他多くの領域にまたがるものであるが、何といっても、劇的であったのが、3月22日に起きたブリュッセルでの同時多発テロであろう。
     これについては、総合雑誌の論考は間に合わず、週刊誌やウェブ雑誌がカバーしているものの、率直に言って、水準の高いものはまだ見当たらない。ニューズウィークの欧州テロ特集は、新聞紙上でも見られるような既知のことの上塗りか、紋切り型の言説の繰り返しが多く、やや物足りない。テロが起きると、(大概反EU)ポピュリズムに陥るという記事の見立てを支える「根拠」が(オランダの)極右指導者の発言でよいのか、もはや慣れっこになってしまった感もあるが、立ち止まって精査が必要だ。
     ISに対しても、過剰な意味を見出すことへの自戒はもう少し語られてよい。その点、黒井は、それが(イラク・シリアなどの)「たまたま」好条件が重なり勃興した勢力であり、パンデミックのような現象であるという。もし偶然広がってしまった感染症と同様の現象なら、空爆のような対症療法ではなく、保健システムの構築に比肩可能な地道でソフトな対応が理に適っていることになろう。
     なお、テロなどにより、戦場や戦争という概念が変化しているさまを活写したグローブの特集号は、タイムリーな深掘りで、周りの評価も高かった。
     もう一つ、劇的なニュースとして世界を駆け巡ったのが、パナマ文書である。これは、ニューズウィーク特集号が早くも取り上げたように、プーチンから習近平、キャメロンまで世界的な指導者(に近しい人)の名前が出てきて、不正な蓄財や脱税すれすれの節税などのスキャンダルに発展しているという意味で十分にニュース性のあるものだが、本来はそれにとどまらず、金融グローバル化の円滑空間と抜け駆けがいつでも可能な主権国家(システム)とが、あるいは脱国境的な脱税とナショナルなままの課税とが出会う極めて現代的なくぼみでもある。そういう深みのある検討はまだ見ていない。これについては、数年前、志賀櫻「タックスヘイブン」(岩波新書)という入門書がすでに出ているが、上村の新編著が課税や連帯にまで射程を広げてわかりやすく分析を加えている。
     グローバル化(時代の安全保障)と、日本が議長国を務めるG7との関係では、世界保健をテーマとして推進している武見の論考が力強い。健康という価値を体現する主要国である日本が、パンデミックへの緊急対応と、持続可能な普遍的保健体制の確立に向けて、イニシアティブをとる余地は(特に今年)大きい。
     G7は外相会談を広島で開催するという一大イベントで幕を開けたといってよい。これは、7か国(+EU)の外相がそろって、慰霊碑に献花し、原爆記念館を訪れ、とりわけアメリカとの歴史的な和解に資する行動をとったという意味で、肯定的に評価しうるものである。もちろん、批判がないわけではない。しかし、和解はプロセスであり、いつでも逆向きに回転しうるデリケートなものであるゆえに、謝罪の言葉はなくとも、いまだに過半が原爆投下を正当化する国にあって、悲劇への悲しみを共有するという形で国務長官周辺がまとめ、具体的な行動で象徴的に和解へのシグナルを送ったことは決して過小評価すべきではない。
     ただし、そうしたケリー国務長官の行動をアメリカが消化し、日本の期待するようなオバマの広島訪問のようなイベントにつながるかどうかは、まだ不透明である。冷泉のアメリカ現地報告は、基本的にアメリカでは今回の会合は和解問題としてはスルーされた形になっていることを伝える秀逸なものとなっている。
     なお、昨年末に日韓合意については、箱田がまとめている。噂されたアメリカの圧力など、もうすこし突っ込んで分析を見てみたかったような気もするが、4月の韓国総選挙後、与党過半数割れの中で、この問題がどう展開するのか、引き続き注視したい。
     最後に、面白く読み、勉強になったものとして2点を付加したい。週刊ダイアモンドの神社特集は、神社とその系列・ネットワークを、まるで商社を見るかのようにザッハリッヒに分析していて、特筆に値する。伊勢サミットを前に、クリーンヒットと言える。
     また、アトキンソンは、観光立国ニッポンの陥穽を短いスペースで雄弁に示している。おもてなし文化への自己愛に酔う日本は、すべきこと、しうることを冷静に議論し、実行に移す前提条件を欠いている。(了)


    Profile

    遠藤 乾

    遠藤 乾 (えんどう けん)

    北海道大学法学部、法学研究科、公共政策大学院教授(国際政治)

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