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    呆れるが、呆れ果てるには早い―岐路に立つ日本のデモクラシー

    北海道新聞「各自核論」2011年9月3日夕刊 
    「呆れるが、呆れ果てるには早い―岐路に立つ日本のデモクラシー」


     2009年秋の政権交代。このときその後2年で3人目の首相を迎えると誰が予想しただろうか。
     衆議院で圧倒的多数を与えられた民主党は、多くの期待を背負った。政官関係の見直し、(土木)利権構造への切り込み、社会連帯の再構築、在沖米軍の再配置など。その中の一つに、安定的な長期政権の構築も含まれていた。短命の自公連立政権が三代続いた直後だったからである。
     いまはどうか。野田佳彦新首相は党内基盤が弱いなかで、来年の党首選に再び臨まねばならぬ。党内の亀裂は構造的である。ボス風の小沢一郎とオーナー調の鳩山由紀夫という元代表。彼らに対抗してきた現在の主流派系は、周知のように政治的体質が異なる人たちからなる。野田氏自身のことばに倣えば、モーニング娘に天童よしみが混じっている状態だ。
     一般に政治の世界で、党内対立や派閥は不可避である。それは、カリスマ党首、明確な基本方針、あるいは(まさに09年衆院選のような)圧倒的な授権・正統性によって和らげられ、活力にすら転化しうる。
     しかし、いまの民主党にそれは望めまい。元より野党時代から党首が2年の任期を全うすることのほうが稀だった(カリスマはいない)。その上、2010年の参院選で09年の確固たる授権は奪われた。
    さらに、野田新首相の登場は、衆院選の洗礼を受けない指導者が、菅前首相に続いて二人も日本の舵取りを担うことを意味する。議会制民主主義の母国である英国では、ブラウン前首相が在任時にそうであったように、これだけで正統性への重大な疑義にさらされる。
    何よりも呆れるのは、民主党政権が、東日本大震災と福島第一原発事故という未曽有の危機に直面してもなお、日本の進むべき明確な方向性と党の一体性を確立できないことだ。これらからすると、来年もまた、党首選に合わせ、下手な政治寸劇を見せられている可能性が高い。
     他方で、政治課題は誰もが挙げるように山積している。復旧復興、原発事故収束はもちろん最優先である。加えて、少子高齢化、社会保障、エネルギー、超円高、雇用、そして財政赤字など。
     外政もまた、圧倒的な内向化の時代にあってかすんで見えるが、領土紛争や環太平洋連携協定(TPP)参加など多くの課題を抱えている。そもそも、頻繁な内閣の交代により日本外交のプレゼンスは目を覆うばかりに低下した。また震災後に世界中から寄せられた同情は薄れ、日本は軽い不信の対象にすらなってきている。
     けれども、こうした事態の切迫性を以てしても党の一体性を確保できないことは、3・11後の半年で証明済みである。つまり、与党の進む方向性、アイデンティティーが(再)確立されない限り、上記の課題はすべて内紛の種でしかない。大連立も、マニフェストの行方も、同様である。民主党内の断層は、増税はおろか、ほとんどどの主要争点と接しても活性化する。どんな百戦錬磨の仕事師政治家をもってしても、常に揺れる地盤の上で何をか成すのは難しい。
     翻って、自民党も心もとない。指導者は弱く、党内がまとまっているとは言いがたく、基本方針も(時に矛盾する)施策の寄せ集めでしかない。直近の国政選挙である09年参院選での授権も薄い。それは自民党が勝ったというよりも、民主党が自滅した選挙だった。
     政党は、自らのアイデンティティーを再定義しなければならない。こまごました施策を並べるよりも、拠って立つ哲学と譲れない大方針を練り直すべきだ。いまある国や社会を「進歩」的に改善し、たとえば子供、高齢者、弱者を社会全体でケアするのか。家族や国民のありさまに変化をもたらすのか(例えば夫婦別姓や外国人参政権)。地球環境や安心安全をどう創り上げるのか。
     「保守」を謳うのなら、何を守るのか。親が子を育てる伝統を守るのか。原発事故から国土と生活を守るのか、エネルギー安全保障と原発産業を守るのか。戦力を増強し戦争に訴えて係争中の領土を守るのか。あるいは「自由」を掲げるのなら、グローバル化や市場の自由化とどこまで付き合うのか。
     このアイデンティティー再建を野田新政権の下の民主党に期待するのは難しかろう。敵失による政権復帰を狙う自民党も、小泉政権以前から始まる退潮傾向と小泉政権後の迷走からすると、自己再定義にもう少し時間がかかるのではなかろうか。1990年代の政治改革の嵐を経て、政党制とデモクラシーが安定するには、最低でもあと数年、1~2回の選挙を経る必要があるように思う。
     有権者やマスコミにも辛抱が必要である。1年ごとの首相交代劇に踊らされ、高支持率からの急降下を楽しむことから、そろそろ卒業しなければならない。小泉劇場は終わり、政権交代の夢からも醒めた。ストーリーはどうやら短編でなく、長編なのだ。
     デモクラシーにおける最大の敵は飽きにある。終わりなき政治的日常を生き、政党の自己再定義の行方を注意深く見極めよう。そうしないと、自分で勝手に袋小路に入り、内外の「敵」をでっちあげ、あるはずのない「理想」や「解決」に飛びつく。その先は、たとえば、橋下徹大阪府知事流のポピュリズムかもしれない。そこでは、労組、教育委員会、そして市(役所)までが「敵」とされ、それらをつぶすことが「解決」となる。これは、個人と(独裁的)指導者の間に位置する中間団体の解体、ひいてはデモクラシーの弱体化を意味するのだ。戦後曲がりなりにも続いたデモクラシーを自ら止めてはならぬ。
     民主党に呆れるのは普通である。しかしそれは雲散霧消してはおらず、いまだ政権にある。がれきのような政権だが、改正NPO法や再生エネルギー法のように中には出た芽もある。
     野田新政権がすべきなのは、政策の優先順位を整理し、危機に面してできることを積み上げながら、少しずつその中に民主党のカラーをにじませてゆくことだ。政権にある民主党は、そこから出てくる芽を育て、時間をかけて政党の哲学を立て直す以外にない。呆れるが、呆れ果てるのはまだ早いのだ。
     

     

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    セシウム報道でセシール(cecile)CMが減った?

    日本の国運をも変えてしまった。全ては政権交代からはじまった国民に多くの嘘をつきまくった鳩山由紀夫の悪党:民主党の輩どもが、悪いのであります。
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    遠藤 乾

    遠藤 乾 (えんどう けん)

    北海道大学法学部、法学研究科、公共政策大学院教授(国際政治)

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